名護屋城跡と呼子のイカ

 「なごやじょう」と聞くと、金の鯱(しゃちほこ)で有名なあの「名古屋城」を思い浮かべる人がほとんどでしょう。しかし忘れる勿れ、名古屋から遥か西の佐賀県にも、日本史の1ページを飾った同じ名前の「名護屋城」がありました。

 佐賀県北部、唐津市鎮西町の玄界灘を望む高台にある名護屋城跡は、築城時期については論争中ですが、秀吉の時代の1590年から1592年の間に作られたということです。秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して築城させた城も現在は城跡を残すのみです。

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 以前名護屋城跡を訪れる機会があった際の話です。近くの道の駅で情報収集をしようと思って観光案内所に入ると、こちらが声をかける前に「今から名護屋城跡ですか」という声。完全に名護屋城跡見学の拠点になっているのだなあと思って、道の駅の名前を見ると「道の駅 桃山天下市」。納得でした。

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 しかし、この辺りは「呼子(よぶこ)のイカ」としてイカの産地としても非常に有名で、同じ道の駅には「イカの一夜干し」がくるくると回されて販売されていました。唐津市呼子町は昔から港町として栄えており、呼子の朝市は、輪島朝市や勝浦朝市と並んで日本三大朝市の1つとされています。下右の写真は、呼子のイカの活け造りで、とても新鮮でおいしかったです。

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 話しを名護屋城跡に戻すと、朝鮮出兵では15万以上が動員されたとされ、名護屋城の城下には兵に加えて日本各地から商人や職人なども集まり、巨大な城下町ができていたようです。名護屋城跡の周りには、徳川家康、前田利家(下右)、加藤清正など従軍した大名たちの陣跡が今でも残っています(出典はともに唐津市観光案内パンフレット)。

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 この辺りは、かつて数々の有名な武将をはじめとする20万人を超える人々がにぎやかに暮らしていた所であり、さらに鎌倉時代に遡ると、この辺りを含む玄界灘沿岸は、モンゴルと高麗の連合軍が攻めてきて死闘を演じた所でもあります(元寇)。高台にある名護屋城跡の展望台から北方に目をやると、壱岐、対馬等の島々が見え、そのすぐ奥は朝鮮半島です。今では昔そんなことがあったとは思えないほど、静かで景色がいい落ち着いた所となっています。最後に一句。名護屋城 兵どもが夢の跡。(Y)