今年のゴールデンウィーク、初めて対馬観光に行きました。対馬空港に到着すると、絶滅が危惧される希少動物のツシマヤマネコが出迎えてくれます。
対馬は南北に長く、長さ82キロメートルに及び、車で端から端までは2時間程度かかります。自然が豊かで、海産物は新鮮で美味しく、島の人の人柄もすこぶるいいです。(対馬地図はよかとこBY「http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/tushima/tushimaindex.htm」より)
島の中央に位置する烏帽子岳展望台に登ると、島を360度見渡すことができ、改めて対馬の自然の雄大さに圧倒されます。
今回は自然に触れることもさることながら、対馬の歴史に触れることも目的の1つでした。
魏志倭人伝、万葉集、元寇、倭寇、朝鮮出兵、朝鮮通信使、日本海海戦。古代から近代まで度々歴史の表舞台に対馬は登場します。
3世紀末に書かれたとされる「魏志倭人伝」の中に、倭国(日本)と韓(朝鮮)の境界に位置し、両地域の海上交易拠点となった「對馬国」として記されています。7世紀の白村江の戦いの後には、唐や新羅の侵攻に備えて防人が置かれ、「万葉集」にも多くの対馬の防人の歌が詠まれています。また、13世紀の元寇の際には上陸した元と高麗の軍隊に多くの島人が殺害され、16世紀の朝鮮出兵の際には中継地となるなど歴史に翻弄されてきました。
江戸時代になり、家康から悪化した日朝関係を修復するよう命じられた藩主宗義智は、貿易再開による島内経済再生のためにも、見つかれば大罪になることを知りながら、日朝間の外交文書である国書偽造を慢性的に行うことで国交を正常化させ、朝鮮通信使も復活させました。しかし、秘密裏に行っていた偽造を、家老の柳川調興が幕府に暴露したことで日本中を震撼させるスキャンダルになり(柳川一件)、結果的にはお咎めなしとなりましたが、江戸時代にもこういうことがあったことを知り、かなり驚きました。
対馬には砲台跡がたくさんあります。明治時代に対馬防備のために設置された要塞です。対馬の上島と下島の間にある浅茅湾には明治時代に海軍の要港がありました。また、日露戦争時には、対馬沖の対馬海峡ではバルチック艦隊との日本海海戦がありました。
魏志倭人伝の昔から近代まで度々歴史の表舞台に登場し、最近も日韓関係悪化で韓国人観光客が激減しているというニュースも流れています。豊かな自然、美味しい海産物、興味深い歴史、それにも増して素晴らしい人柄の対馬の人々。島の人々が困っている今こそ是非一度足を運んでみてください。(Y)