山手線の新大久保駅の改札を出ると、そこにはアジアが広がっています。改札を出て右に進み、山手線のガードをくぐると、視線の先にはハングル文字の看板。街頭にはK-POPのリズムにのって飛び交うハングルの音。どこからともなく漂ってくる鼻をつく唐辛子の香り。また、改札を出て左に進むと、タイ、ムスリム、中国等々、多国籍の街が広がっています。
大久保とは通常、大久保1・2丁目および百人町1・2丁目の4地区を指しますが、中でも大久保1丁目は外国人住民が4割を超えています。大久保コリアンタウンとして有名な大久保も、最近では中国人、ベトナム人、ネパール人等、韓国人以外の住民が増えています。
そもそも移住者の街としての大久保の歴史は、百人町の地名にもある通り、江戸時代に伊賀から移住してきた伊賀組百人鉄砲隊に遡ります。明治以降も外部から軍人やサラリーマンが来たり、小泉八雲や孫文等の外国人が居住したりと、新しい文化を受け入れる土壌がありました。近年も、安く借りられるアパートがたくさんあったため、新宿の盛り場で働く外国人女性のベッドタウンとして、また、近隣の日本語学校等の専門学校に通う留学生の居住地として発展してきました。
もともとは外国人居住者の増加によって外国人向けの様々なビジネスが発生し、ブティック、レストラン、食材店、不動産店など衣食住にわたる多様な業種が展開されてきました。しかし、地域住民以外の買い物客も来街しはじめるようになり、観光地としての面も持つようになりました。新大久保商店街振興組合の諏訪理事長にお話を伺った際の「商圏は、かつては近隣400~500mだったが、現在は日本全国」という言葉からも、この地域の観光地化が裏付けられています。(Y)